
忍者の武器や道具には、何があったのでしょうか。江戸時代の忍術書に多いのは、手裏剣のような戦う武器よりも、登る・水を渡る・戸を開ける・火を使う道具です【有力説】。
手裏剣や鎖鎌は、武術の武器としては本当にありました。ただ、忍びが使ったという記録は、まだ見つかっていません【有力説】。
この記事では、国立公文書館にある忍術書『萬川集海(ばんせんしゅうかい)』の絵と、寛永5年(1628年)に本物の忍びが注文した道具の書付をもとに、道具ごとに「何で確かめられるか」を絵で紹介します。
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わしは上杉ケンシン。今日は忍者の道具の図鑑だ。
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伊達マサムネです! 忍者といえば、手裏剣ですよね?
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忍術書に多いのは、登る・開ける・火の道具なんだ。一つずつ見ていこう。
ひと目でわかる忍者の道具
知りたいところから読めるように、見出しへのリンクを置いておきます。
- 忍者の武器・道具一覧|何が記録でわかる?
- まきびしとは?材料と逃げるときの使い方
- 鎖鎌とは?忍者が使った記録はある?
- 苦無とは?大きさと登る・穴をあける使い方
- 手裏剣とは?忍者が使った記録はある?
- 忍者刀は本当にあった?直刀と四角い鍔の根拠
- 水蜘蛛で水の上を歩けた?使い方には説がある
- 忍び六具とは?『正忍記』がすすめる6つの持ち物
- 登る・渡る・開ける・火を使う道具
- 細川家の忍びは何を注文した?1628年の道具一覧
- 煙玉・吹き矢・手甲鉤は?忍びとの関係を確かめる
- 忍者の道具はどこで見られる?
- よくある質問
忍者の武器・道具一覧|何が記録でわかる?

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この図鑑では、道具ごとに3つの印をつけた。「実物・展示」「忍術書」「忍びの記録」だ。
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忍術書にのっていることと、本当に使った記録があることは、別なんですね!
3つの印の意味は、次のとおりです。
- 実物・展示:博物館などに、その形の道具が展示されている(作られた年がわからない物や、復元した物もふくみます)
- 忍術書:江戸時代の忍術書に、図や説明がある
- 忍びの記録:忍びがその道具を注文した、または使ったという記録がある
| 道具 | 何に使う? | 実物・展示 | 忍術書 | 忍びの記録 |
| 苦無 | 石垣を登る・穴をあける | ある | ある | ある(注文) |
| まきびし | まいて追っ手を止める | ある | ある | 見つかっていない |
| かぎ縄 | 引っかけて登る | ある | ある | 見つかっていない |
| 水蜘蛛 | 堀や川を渡る | ある(復元) | ある | 見つかっていない |
| 手裏剣 | 投げる武術の武器 | ある | 見つかっていない | 見つかっていない |
| 鎖鎌 | 武術の武器 | ある | 見つかっていない | 見つかっていない |
| 忍者刀(直刀) | ― | 古い物は見つかっていない | 見つかっていない | 見つかっていない |
この記事で取り上げるおもな忍術書は、江戸時代にまとめられた本です。『萬川集海』は延宝4年(1676年)、『正忍記(しょうにんき)』は延宝9年(1681年)にまとめられました【有力説】。戦国時代の忍びのようすを、そのまま書き写した本ではありません。
また、「見つかっていない」は「なかった」という意味ではありません。まだ見つかっていない記録が、これから見つかることもあります。
まきびしとは?材料と逃げるときの使い方

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先に出口にまいておけば、場所を知っている自分だけがよけて逃げられるんだ。
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場所を知っている自分は、引っかからないんですね!
まきびし(撒菱)は、地面や床にまいて、追っ手の足を止める、とげのある小さな道具です【有力説】。
江戸時代の忍術書『忍秘伝(にんぴでん)』(承応4年〈1655年〉とされる)の「蒔菱之事」には、鉄でも竹でも作ると、図つきで書かれています【有力説】。家に忍びこんだとき、人が出てくるのを防ぎ、自分が退きやすくするための道具です【有力説】。
三重大学の山田雄司さんは、出口に前もってまいておき、場所を知っている自分は飛びこえ、知らない相手が踏んでひるむすきに逃げる、と説明しています【有力説】。
名前は、形が水草のヒシの実に似ていることから来ています【有力説】。江戸時代の軍記『播州佐用軍記』にも、草の袋に入れて持った「鉄菱・竹菱」が出てきます【有力説】。いつから使われたのか、忍者が最初に使ったのかは、わかっていません【不明】。

画像:滋賀県甲賀市の忍の里プララに展示された、鉄菱と自然菱(ヒシの実)。写真:Motokoka(CC BY-SA 4.0/Wikimedia Commons)。一部を切り出し
ヒシの実をそのまままきびしに使った、と書いた古い記録は、確かめられませんでした【不明】。
鎖鎌とは?忍者が使った記録はある?

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鎖鎌は、剣術や槍術といっしょに伝わった、武術の武器なんだ。
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忍びが使ったという記録は、見つかっていないんですね。
鎖鎌(くさりがま)は、鎌の柄に長い鎖をつけ、先に鉄の分銅(ふんどう=おもり)をつけた武器です。分銅で打ったり、鎖を相手の武器に巻きつけたりして使います【有力説】。
生まれた時期は、室町時代の終わりごろとも、戦国時代ともいわれます【諸説あり】。江戸時代には、一心流・天道流などの武術の流派に伝わりました【有力説】。
いっぽう、忍術書や忍びの記録で、鎖鎌を使った例は見つかっていません【不明】。『萬川集海』の「開ける道具」の巻には、柄をたためる鎌がありますが、鎖はついていません【史実】。
宮本武蔵が鎖鎌の使い手「宍戸(ししど)」と戦った話は、江戸時代の本『二天記』(安永5年〈1776年〉)に出てくる話です【伝承】。武蔵のことは宮本武蔵の記事で紹介しています。
苦無とは?大きさと登る・穴をあける使い方

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苦無は、石垣を登ったり、塀に穴をあけたりする道具だ。忍術書に絵があるぞ。
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投げる武器だと思っていました!
苦無(くない)は、鉄でできた、先のとがった道具です。忍術書『萬川集海』では、「登る道具」の巻(巻18)に図がのっています【史実】。

画像:『萬川集海』巻十八「苦無圖説」(写本)。国立公文書館所蔵(内閣文庫、請求番号 特113-0005、第9冊7コマの一部を切り出し)
史料ボックス 『萬川集海』巻十八「苦無圖説」
出典
『萬川集海』の写本(国立公文書館 内閣文庫、請求番号 特113-0005)。延宝4年(1676年)にまとめられた忍術書を、手で書き写した本(写本)で、寛政元年(1789年)に江戸幕府へ納められました。
原文(抜粋)
「此製作長一尺二寸或一尺六寸ナリ 鉄ヲ以テ製ス ヘラ苦無モ同シ」
現代語訳
作り方は、長さ一尺二寸(約36cm)か一尺六寸(約48cm)。鉄で作る。へら苦無も同じ。
この記録からわかること
苦無が、忍術書に図と大きさがのる「登る道具」だったこと。センチは1尺=約30.3cmで計算した目安です。

伊賀の沢村家に伝わる覚書には、苦無は「石垣をのぼり、塀に穴をあけるときの道具」と書かれています【有力説】(上田哲也さんの論文の引用による)。
寛永5年(1628年)に細川家の忍びが鍛冶屋に注文した道具の書付にも、「くない」10本が出てきます【史実】(注文書の章で紹介します)。
確かめた史料では、苦無を投げて使った書き方は見つかりませんでした【不明】。

画像:滋賀県甲賀市のくすり学習館に展示された苦無。写真:Motokoka(CC BY-SA 4.0/Wikimedia Commons)
博物館の展示には、このように木の葉のような形の苦無もあります。
手裏剣とは?忍者が使った記録はある?

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手裏剣は、武士が道場でけいこした武術の道具だ。忍びが使った記録は、まだ見つかっていない。
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棒の形の手裏剣もあるんですね!
手裏剣(しゅりけん)は、手で投げて的に当てる、小さな刃物です。細長い棒の形の「棒手裏剣」と、十字形などの平たい「車剣(くるまけん)」があります【有力説】。
江戸時代には、手裏剣術の流派があり、おもに武士がけいこしました【有力説】。たとえば根岸流は、幕末の剣術家・根岸松齢(ねぎししょうれい)が開いた流派です【有力説】。
いっぽう、これまでに見つかっている忍術書には手裏剣の記述がなく、忍びが手裏剣を使ったという史料も見つかっていません【有力説】。1628年の細川家の忍びの注文書にも、手裏剣は出てきません【史実】。
元和4年(1618年)の兵法書『軍法侍用集』は、夜討ちで投げ入れる松明を「しりけん(手裏剣)によし」と書いています。手で投げる物を広く「手裏剣」と呼んでいたようです【有力説】。
江戸時代の絵の手裏剣は、棒の形です。星や十字の平たい手裏剣は、昭和17年(1942年)の本でも紹介され、戦後の忍者の作品で広まりました【有力説】。歌舞伎で忍者と手裏剣が結びついた話は、忍者は本当にいた?の記事で紹介しています。

画像:滋賀県甲賀市のくすり学習館に展示された手裏剣。写真:Motokoka(CC BY-SA 4.0/Wikimedia Commons)。一部を切り出し
忍者刀は本当にあった?直刀と四角い鍔の根拠

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まっすぐな刀に四角い鍔の「忍者刀」は、古い実物も、忍術書の記述も見つかっていない。
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本物の忍びは、どんな刀を差していたんですか?
背中にしょった、まっすぐな刀身に四角い大きな鍔(つば=刀をにぎる手を守る金具)の「忍者刀」は、古い実物も、忍術書の記述も確かめられません【不明】。
戦国時代の忍びは、足軽や村の侍でもありました【有力説】。ふだんは、ほかの武士と同じ、ふつうの刀を差していたと考えられます【有力説】。
『萬川集海』の「登る道具」の巻には「太刀登(七、八尺の塀のときに使う)」という項目がありますが、四角い大きな鍔を足場にして塀を登った、という説明の根拠は見つかっていません【俗説】。
いっぽう、刀の鞘(さや=刀の刃をしまう入れ物)で水の中で息をする方法は、忍術書『水鏡』に書かれていると、山田雄司さんが紹介しています。鞘の先に小さな穴をあけ、口にくわえて息をする方法です【有力説】。山田さんは、そのままで使うのはむずかしいとも説明しています。これは、まっすぐな「忍者専用の刀」があった証拠とは別の話です。
水蜘蛛で水の上を歩けた?使い方には説がある

画像:『萬川集海』巻十九の「開水蜘蛛上面之圖」(左)と「水掻ノ圖」(右)(写本)。国立公文書館所蔵(内閣文庫、請求番号 特113-0005、第9冊14・15コマの一部を切り出して並べた)
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鼻緒がついているのは、足にはく「水掻」のほうだ。水蜘蛛は、輪の形の浮き具なんだ。
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両足にはいて、水の上を歩く道具ではなかったんですね!
水蜘蛛(みずぐも)は、『萬川集海』の「水の道具」の巻(巻19)にある浮き具です【史実】。木の板をつないだ輪で、さしわたし(輪のはしから反対のはしまで)は二尺一寸八分(約66cm)。真ん中に皮の敷物をつるし、蝶番(ちょうつがい=折りたたむための金具)でたためる作りが、写本に描かれています【史実】。
巻19の初めには、この流派の水蜘蛛や挟箱舟(はさみばこぶね)は、川や堀を渡る最上の道具だ、と書かれています【史実】。

使い方には、輪の真ん中に座り、足にはいた水掻で水をかいて進んだという説と、腰のまわりに浮き輪のように付けたという説があります【諸説あり】。どちらが正しいかは、わかっていません。
両足にはいて水の上を歩くイメージは、昭和17年(1942年)の本の図が、もとの水蜘蛛の図にない鼻緒を書き足したことから広まったとされます【有力説】。両足にはいて水の上に乗る使い方では、浮く力を測っても、人の体を支えるほどの力はなかったと、山田雄司さんは紹介しています【有力説】。
忍び六具とは?『正忍記』がすすめる6つの持ち物

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『正忍記』は、あみ笠・かぎ縄・石筆・薬・三尺手拭・付竹の6つを、持ち物としてすすめている。
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どれも、ふつうの旅の持ち物に見えますね!
「忍び六具(しのびろくぐ)」は、江戸時代の忍術書『正忍記』(延宝9年〈1681年〉)にある、忍びの持ち物6つです【史実】。
| 道具 | 使い道 |
| あみ笠 | 顔をかくし、笠の内側から人を見ることができる |
| かぎ縄 | 引っかけて登る。人をしばることにも使う |
| 石筆 | 覚えておくことを書く筆記具(この本の石筆がどんな形だったかは、わかっていない) |
| 薬 | 大事なときに病気になったときのため |
| 三尺手拭 | 長さ約91cmの手ぬぐい。帯に入れておき、いろいろに使う |
| 付竹 | 火種を入れて持ち歩く竹の筒。夜に火が要るときに使う |
付竹は、国立国会図書館にある『正忍記』の写本では、一覧に「打竹」、説明の文に「附竹」と書かれています【史実】。
六具は、『正忍記』がすすめる持ち物です。すべての忍びがいつも6つを持っていた、という意味ではありません。

かぎ縄は、『萬川集海』にも「打鉤」として図があります。鍛えた鉄の鉤4本を鉄の輪でまとめ、麻の縄一丈五尺(約4.5m)をつけたものです【史実】。

画像:『萬川集海』巻十八「打鉤圖説」(写本)。国立公文書館所蔵(内閣文庫、請求番号 特113-0005、第9冊8コマの一部を切り出し)
兵糧丸・水渇丸は?
六具の「薬」とは別に、『萬川集海』には、兵糧丸(ひょうろうがん)・飢渇丸(きかつがん)・水渇丸(すいかつがん)という携帯食や薬の作り方があるとされます【有力説】。
三重大学の久松眞さんは、江戸時代の伝書『甲州流忍法伝書老談集』(弘化2年〈1845年〉の写し)に書かれた兵糧丸の材料を紹介し、その栄養を計算しています【有力説】。
登る・渡る・開ける・火を使う道具

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堀は水蜘蛛、塀ははしごやかぎ縄、戸は錐やしころ。場所ごとに道具がちがうんだ。
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屋敷に入るまでに、こんなに道具を使い分けるんですね!
『萬川集海』は、忍びの道具を、登る道具・水の道具・開ける道具・火の道具の4つに分けています【史実】。
- 登る道具:竹のはしご、かぎ縄(打鉤)、苦無など。はしごには、竹を2本だけ持って行き、現地で組み立てる作り方もあります
【史実】。 - 水の道具:水蜘蛛、水掻、浮橋、草を束ねたいかだなど
【史実】。 - 開ける道具:戸のかけがねを外す道具、錐、しころ(小さなのこぎり)、鋏、柄をたためる鎌など
【史実】。かさばる物・数が多い物・音がする物はきらう、と書かれています【史実】。 - 火の道具:たいまつ、火矢など。城や陣に火をつける、味方に合図する、風雨で消えないたいまつで味方を助ける、の3つを利点に挙げています
【史実】。火の道具は200種類をこえるとされます【有力説】。

坪錐(つぼきり)は、戸に丸い穴をあける錐です。『萬川集海』では、大坪錐の長さは全体で六寸(約18cm)、柄は樫の木で作るとされています【史実】。

画像:『萬川集海』巻二十の鑓錐・大坪錐・小坪錐の図(写本)。国立公文書館所蔵(内閣文庫、請求番号 特113-0005、第9冊28コマの一部を切り出し)
忍者は道具を全部持ち歩いた?

『萬川集海』は、道具をたくさん持ち歩くことをすすめていません。「登る道具」の巻の初めに、次のように書かれています【史実】。
史料ボックス 『萬川集海』巻十八 登る道具の巻の初め
出典
『萬川集海』の写本(国立公文書館 内閣文庫、請求番号 特113-0005、第9冊3コマ)
原文(抜粋)
「譬ハ網ノ目ノコトシ」「忍器モ亦其コトシ」「多持行コトナカレ」
現代語訳(要約)
道具は、網の目のようなものだ。目がどれほど多くても、鳥がかかるのは一つか二つの目だけ。忍びの道具も同じである。たくさん持って行ってはいけない。一つの道具をいろいろに使いこなすのが、腕のよい忍びである。
この記録からわかること
忍術書は、相手のようすをよく考えて、その時に合う道具だけを持って行くように教えていたこと。

画像:『萬川集海』巻十八 登る道具の巻の初め(写本)。国立公文書館所蔵(内閣文庫、請求番号 特113-0005、第9冊3コマの一部を切り出し)
細川家の忍びは何を注文した?1628年の道具一覧

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寛永5年(1628年)、細川家の忍びの頭が、鍛冶屋に作らせる道具の値段と数を書き付けた。本物の忍びの道具の記録だ。
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苦無が10本、火矢の根が100もあるんですね!
寛永5年(1628年)7月19日、細川忠利(当時は豊前小倉藩の藩主)に仕えた忍びの組「御忍之衆(おしのびのしゅう)」の頭・吉田助右衛門が判を押した書付(かきつけ=品物や数を書いた文書)があります【史実】。忍びの道具を鍛冶屋に作らせるときの、品物と数と値段の一覧です【史実】。
| 書付の品物 | 数 | どんな物? |
| くない(苦無) | 10 | 登る・穴をあける鉄の道具 |
| かま(鎌) | 15 | やぶを払う道具 |
| 火うち(火打) | 10 | 火をおこす道具 |
| 火矢のね(火矢の根) | 100 | 火矢に付けるやじり |
| はさみ(鋏) | 2 | 小さな鉄や竹・木を切る |
| のべかき(延鉤) | 2 | 戸を開ける道具 |
| ほうてう(包丁) | 3 | 小刀のように使ったとみられる |
| しゆうなふ(樟脳)・松やに | ― | 火の道具の材料 |
この書付を研究した上田哲也さんは、道具を鍛冶屋にまとめて作らせたこと、農具や職人の道具、ふだんの品を多く使っていたことを指摘しています。特別な道具を持っていると、忍びだと見破られるおそれがあったからだと考えています【有力説】。
品物の名前の一部は、後の忍術書の道具の名前と同じです【有力説】。ただし、同じ形・同じ大きさだったかまではわかりません。
この書付に、手裏剣・まきびし・刀は出てきません【史実】。ただ、これは鍛冶屋に注文した品の一覧で、忍びの持ち物のすべてではありません。

細川家の忍びが道具を使った記録もあります。寛永15年(1638年)2月28日、島原の乱の原城で、「御忍之衆」の吉田十右衛門(助右衛門の子)が、焼け残っていた天草四郎の屋敷に火矢を射て燃やしたと書かれています【史実】。1628年の書付とは、別の年の記録です。
史料ボックス 細川家の忍びの記録
出典
『部分御旧記』巻41(寛永5年〈1628年〉の書付)・巻49(寛永15年〈1638年〉の記録)。上田哲也「熊本藩細川家の忍び」(『忍者研究』3号、2020年)が引く『熊本県史料』の翻刻による
原文(抜粋)
「くない 十 代十匁」
「本丸ニ而四郎家ニ弓火矢仕焼立申候 御しのび吉田十右衛門」
現代語訳
苦無10本、代金は銀10匁。
本丸で、四郎の家に弓で火矢を射て焼きました。御忍びの吉田十右衛門。
この記録からわかること
江戸時代のはじめ、大名に仕えた忍びが苦無などの道具を用意し、戦では火矢を使ったこと。
煙玉・吹き矢・手甲鉤は?忍びとの関係を確かめる

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煙とともにドロンと消える術は、忍術書には見つかっていない。江戸時代の物語で、忍者が妖術使いとして描かれたんだ。
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吹き矢や手甲鉤も、忍術書にはないんですか?
煙とともにパッと消えるような術は、忍術書には見つかっていません【有力説】。煙で姿を見えにくくする道具があったかどうかも、この記事で確かめた範囲の忍術書では見つかりませんでした【不明】。江戸時代の物語では、忍者が大蛇やガマをあやつる妖術使いとしても描かれました【創作】。
『萬川集海』の火の道具の巻には、「鳥ノ子(とりのこ)」という道具の名前もあります【史実】。
吹き矢・手甲鉤(手にはめる鉄の爪)・仕込み杖(刀をかくした杖)は、博物館などで忍者の道具として紹介されることがあります。道具そのものはあっても、忍びが使ったという記録は、忍術書や記録では確かめられていません【不明】。
忍者の道具はどこで見られる?

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伊賀と甲賀には、忍術書をもとにした道具を見られる場所がある。
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『萬川集海』は、インターネットでも全部のページを見られるんですね!
伊賀流忍者博物館(三重県伊賀市)では、忍術書をもとに作った忍具のレプリカなどを見ることができます(2026年10月28日に公式サイトで確認)。
甲賀流リアル忍者館(滋賀県甲賀市)は入館無料で、水蜘蛛に乗ったような写真をとれる場所や、兵糧丸作りの体験があります(2026年10月28日に公式サイトで確認)。
国立公文書館デジタルアーカイブでは、この記事で紹介した『萬川集海』の道具の巻を、全部のページ画像で見られます。
よくある質問
忍者の道具で、記録にあるのは?
P: 江戸時代の忍術書には、苦無・かぎ縄・はしご・水蜘蛛・まきびし・錐・たいまつなどがあります。寛永5年(1628年)の細川家の忍びの注文書には、苦無・鎌・火打・火矢の根などが出てきます(くわしく)。
苦無は投げる武器だった?
P: 忍術書では「登る道具」の巻にのる道具で、確かめた史料では投げる使い方は見つかりませんでした(くわしく)。
まきびしは何でできている?
P: 江戸時代の忍術書『忍秘伝』には、鉄でも竹でも作ると書かれています(くわしく)。
水蜘蛛で水の上を歩けた?
P: 水蜘蛛は輪の形の浮き具で、両足にはいて歩く道具ではありません。使い方には、座る説と腰に付ける説があります(くわしく)。
忍者刀は本当にあった?
P: まっすぐな刀身に四角い鍔の「忍者刀」は、古い実物も忍術書の記述も見つかっていません(くわしく)。
まとめ|忍者の武器・道具は何があった?
まとめ
- 江戸時代の忍術書に多いのは、登る・水を渡る・戸を開ける・火を使う道具です。
- 苦無は『萬川集海』に図があり、1628年の細川家の忍びの注文書にも出てきます。
- まきびしは『忍秘伝』に、水蜘蛛は『萬川集海』にあります。水蜘蛛は水の上を歩く道具ではありません。
- 手裏剣・鎖鎌は武術の武器として本当にありましたが、忍びが使った記録は見つかっていません。
- まっすぐな「忍者刀」、煙とともに消える術は、古い記録や忍術書では確かめられません。
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本物の忍びの道具は、ふだんの道具とよく似ている。だからこそ、見破られにくかったんだな。
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忍者が本当にいたのかは、親記事も読んでみます!
忍びが記録にどう出てくるか、各地の忍びや有名な忍者のことは、忍者は本当にいた?の記事で紹介しています。伊賀者を率いた武将の話は服部半蔵の記事をどうぞ。
参考にした史料・この記事の書き方
この記事は、おもに次の記録や資料をもとに書いています。
- 忍術書:『萬川集海』写本(国立公文書館 内閣文庫、請求番号 特113-0005、第9冊)、『正忍記』写本(国立国会図書館、請求記号 214-9)
- 研究:上田哲也「熊本藩細川家の忍び」(『忍者研究』3号、国際忍者学会、2020年)、山田雄司「〈史料紹介〉真田宝物館所蔵『万川集海』」(『忍者研究』7号、2024年)、山田雄司「忍者の聖地 伊賀」(伊賀ポータルの連載。まきびし・手裏剣・水術・火術の回)
- 公的な資料:国立国会図書館 電子展示「本の万華鏡 第33回 NINJA 虚像(エンタメ)と実像(ホンモノ)」(2023年)、観光庁「地域観光資源の多言語解説文データベース」(滋賀県甲賀市「忍具」、2024年度)、伊賀流忍者博物館「伊賀流忍術」
- 事典:コトバンク(『世界大百科事典』『日本大百科全書』『日本国語大辞典』の「手裏剣」「鎖鎌」「鉄菱」など)
- 画像:『萬川集海』の図は国立公文書館所蔵(一部を切り出し)。まきびし・苦無・手裏剣の展示の写真は Motokoka(CC BY-SA 4.0/Wikimedia Commons)です。
記事中のラベルの意味
【史実】同じ時代の史料などで確かめられること(忍術書の図や記録に、そう書かれていること)【有力説】研究者の間で広く受け入れられている見方【諸説あり】見解が分かれていること【不明】確かめられる資料が見つかっていないことなど、今わかっていないこと【伝承】後の時代の記録や言い伝えによる話【俗説】根拠が見つからないまま、広く信じられている話【創作】小説や物語のために作られた話
「記録にそう書かれていること」と、「書かれた出来事が実際にあったこと」は、分けて考えています。
この記事は侍ロード編集部が作成し、公開後も新しい研究やご指摘を受けて見直しています。内容の誤りにお気づきの場合は、お問い合わせからお知らせください。
